こんなところにこんなものが


ーこんなところにこんなものがシリーズー

京・洛西にある京都市竹林公園は日本有数の竹コレクションで有名です
ですがこの中にあるのは竹に関するものだけではありません

京都の歴史を物語る遺構があります

1番目

百々橋(どどばし)

室町期・応仁の乱で東軍と西軍が対峙したという、歴史的遺構の石橋があります。
京都市上京区にあったものを、ここ竹林公園に移築されています。

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2番目

石仏群

織田信長が室町幕府最後の将軍足利義明のために築いた、旧二条城の石垣に使われたという
石仏など約350体が安置されています

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[津本陽 下天は夢か]より
「俺が上洛したるうえは、主上を尊び、忠義を尽くさねばならず」 信長は皇室の権威を回復し、国体を重んじるよりほかに、乱世を平安に導く道はないと見抜いていた。二条城造営の普請は、信長の下知に従い急速に進められた。城郭はほぼ正方形で、一辺の長さは約400mである。堀の幅は16m、石垣の高さは7.5mであった。「イエズス会士日本通信」の永禄12年6月1日付ほかの宣教師ルイス・フロイスの書簡には、次のように記されている。「新城は三つの堀と数カ所のあらたなる稜塁を具備する、堅固な要塞である」「工事は日本においてはかって見たることなき石造りとするに決したが、これに用うる石が不足していたので、多数の石像を倒し、頸に縄をつけて工事場を引かせ(中略)石の祭壇及びフォトケスすなわち偶像を地上に倒して、これを破壊し、車に積みて運搬し・・・」
昭和49年6月から始まった、京都市の地下鉄烏丸線(南北線)に伴う遺跡調査の結果、出水ー丸太町間の発掘現場で、二条古城の石垣が発見された。城郭の規模は、記録されたものとほぼ同様で、石垣の石材には石仏、板碑、礎石、五輪塔などが転用されていた事実も明らかとなった。フロイス書簡の内容は、正確であった。石垣に用いた石地蔵、石仏は、ほとんどが腹部でまっぷたつに断ち割られ、頭蓋に刀傷のある人骨も発見され、鬼気ただよう光景であったという。



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